2009年07月04日

第1次桂太郎内閣の菊地大麓文相

1902年(明治35年)、第1次桂太郎内閣の菊地大麓文相(元東京帝大総長)が、「東京・京都以外に帝大は設立不要」とし、実用的な専門学校の設置案を提案した。衆議院解散で設置案は流れたが、九州帝大設置のために巨額の寄付を申し出ていた各県に専門の高等教育機関の設置が決まり、まず、国から150万円の予算を得て1903年(明治36年)に福岡県立福岡病院をもとに京都帝国大学福岡医科大学が設立された。その後、1905年(明治38年)に長崎高等商業学校が、1906年(明治39年)に仙台高等工業学校、および、第五高等学校工学部をもとに熊本高等工業学校が設置された。
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1906年(明治39年)、京都帝大の設置に尽力し、高等教育機関の設置に前向きな西園寺公望を首相とする第1次西園寺内閣が成立すると、1907年度(明治40年度)予算に東北帝国大学(仙台市)および九州帝国大学(福岡市)の設置予算を組み込んだ。しかし、日露戦争後の不況期に入ったことを理由に板谷蔵相によって予算は削減され、設立は絶望的となった。このとき、古河鉱業副社長であった原敬内務大臣(盛岡藩盛岡城外・本宮村、現岩手県盛岡市本宮出身)が、古河財閥の二代目オーナーの古河虎之助(当時17歳)を説得し、両帝国大学設立のための資金を献納させることを取り付け、予算削減から17日目に両帝国大学の設置が閣議決定された。日露戦争による好況(1904-05年)によって財を成した古河財閥は、一方で足尾銅山の鉱毒による公害問題を抱えており、公のために寄付をすることで世論の沈静化を願った。

2009年06月14日

サンスクリーン剤は、皮膚に当たる紫外線を

サンスクリーン剤は、皮膚に当たる紫外線をブロックすることによって、日焼けや皮膚の老化を予防するためのクリームである。一般には日焼け止めとも呼ばれる。

いずれも日本化粧品工業連合会が定めたもの。

SPF (Sun Protection Factor) (UVB防御指数)
紫外線のうち、肌がヒリヒリと赤くなるような炎症(サンバーン)をひき起こす傾向の強いUVB波を遮断する効果の程度を表す指標。 皮膚が紫外線を浴びはじめてから赤い斑点ができるはじめるまでの時間を何倍に引き延ばすことができるかを表したもの。
たとえば、赤い斑点が現れるまでに20分程度かかる人がSPF10の日焼け止めクリームを塗った場合、20×10=200分(3時間強)までは赤い斑点を生じずに済む、ということになる。
指標の性質上、値とともに誤差が増大するものであり、日本ではSPF50を超える能力が有意に認められる場合はSPF50+と表記することになっているが、日本以外では50以上の数値をそのまま表示する商品も多い。
PA (Protection Grade of UVA) (UVA防御指数)
紫外線のうち、肌を黒くしたり、シミをつくる傾向の強いUVA波を遮断する効果の程度を表す指標。 +(効果がある)、++(かなり効果がある)、+++(非常に効果がある)の3段階(無標も含めれば4段階)に分類する。
なお、SFP、PAともに、1cm2あたり2mgずつ製品を皮膚に塗布した上で測定する、とされている。 実際には、多くの場合そこまで多量には塗布できないことも多い上、塗布された製品は発汗や接触によって徐々に失われていくものである。 こうしたことも理解した上で、指標を過信せず、また、まめに塗りなおすなどの工夫を怠らないことが大切である。

日焼け止めの種類 [編集]
日焼け止めは、大きくわけて「紫外線拡散剤」と「紫外線吸収剤」の二種類に分類できる。それぞれ名前の通り、拡散剤は紫外線を反射させ、吸収剤は紫外線を吸収し、肌に紫外線が届くのを防ぐ。SPF30以上の強い日焼け止めには主に吸収剤が使用されている。吸収剤は効果が強力なため、肌の弱い人が使うとアレルギー反応を起こし、かぶれる場合がある。

どちらにせよ、紫外線を防ぐために酸化チタンや酸化亜鉛といった金属が必ずと言っていいほど使用されているため、長時間の使用は肌に悪影響を与えるといわれる。使用後は、寝る前に必ず石鹸またはクレンジング剤で洗い流す必要がある。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

最近では、オーガニック化粧品の中でこういった酸化チタン、酸化亜鉛などを使わず、ハーブや草花の能力のみで紫外線を防ぐ化粧品の研究が進んでいる。現在市販されているものはSPFが3?6程度と、これまでのサンスクリーン剤と比べて、遙かに持続時間が短いものの、肌に負担をかけないサンスクリーン剤として注目を集めている。

なお、酸化亜鉛や酸化チタンは一般用医薬品などに普通に用いられる薬用成分であり、多少の塗布は健康上問題はない。医薬部外品であるということを念頭に置き、必要以上に塗布しない、定期的に洗い流すなど、用法、容量を守ることを心がけるべきである。

2009年05月29日

著作をおこなわなかった理由

ソクラテスは書記言語の野放し状態の普及を激しく非難していた[2]。

ソクラテスは、話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた。書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であったので、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのである[3]。

ソクラテスは書き言葉が記憶を破壊すると考えた。個人的知識の基盤を形成するにふさわしい厳密さを期待できるのは暗記するという非常な努力を要するプロセスのみであり、そうして形成した知識基盤は教師との対話の中で磨いていくことができるという信念を抱いていたからである[4]。

ソクラテスは読字を恐れていたわけではないが、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、今日ではその生涯・思想共に他の著作家の作品を通してうかがい知ることができるのみである。これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。

同時代の作家の内、劇作家・詩人のアリストパネスは戯曲『雲』においてギリシャのソフィストたちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げている。ここではソクラテスの言動は揶揄のために誇張されていると考えられる[6]。
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ソクラテスの弟子の一人とされるクセノポンは『ソクラテスの思い出』などソクラテスに関する文章を記しており、今日まで比較的よく保存されている。ただし、クセノポンの描くソクラテスは通俗的で哲学者としての力量をとらえきれていないとの理解が一般的である。

同じくソクラテスの弟子であるプラトンの記した一連の対話篇にはソクラテスが頻繁に登場する。しかしながら、特に『メノン』以降のソクラテスはプラトンの思想を表現するための人物として利用されている感がある(ただし、前期対話篇についてはその限りではない)。

他の弟子による文章の一部やプラトンの弟子にあたるアリストテレスによる記述をはじめ、後世の著作家による記述も残っている。

2009年04月25日

アルサケス1世

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アルサケス1世の出自は明らかではない。父の名もアルサケスであったといわれる。彼はダーハ氏族の1支流パルニ氏族の族長であった。彼はセレウコス朝によって任命されたパルティア州とヒルカニア州の総督(サトラップ)アンドラゴラスがセレウコス朝から独立して現地の政情が不安定になったのに乗じて、弟のティリダテス1世とともにパルティア州に侵入し、アンドラゴラスを戦死させてパルティアの支配権を握った。アルサケス1世のパルティア侵入の年代については諸説あるが、大まかには紀元前247年から紀元前238年頃といわれており、現在では紀元前247年説が有力である。

アンドラゴラスの時代よりパルティア地方の統制を失っていたセレウコス朝は、セレウコス2世の下で西方を安定させると東部領土の奪回を目指して前231年にパルティアへの遠征を開始した。セレウコス2世はパルティアで勝利を納めることができないままシリアで発生した反乱のために撤退に追い込まれた。これによって独立勢力としてのアルサケス朝パルティアが確立し、アルサケス1世はアサーカ市で永遠の火をともす儀式を行い、自分の銘を入れたコインを発行し、またパルティア各地に要塞を築いて国家の基盤を固めた。

紀元前211年頃に死去し、息子のアルサケス2世が跡を継いだ。彼以後、全てのパルティア王がアルサケスの名を称号とした。

アルサケス1世とティリダテス1世
アルサケス1世の弟とされるティリダテス1世が、アルサケス1世とどのような関係にあったのかについては様々な説がある。かつてはアルサケス1世の事跡が曖昧で、記録も少ないのに対し、ティリダテス1世の事跡に関する記録が多く残されていることや、歴代のパルティア王が「アルサケス」を称号として用いたことから、アルサケス1世とティリダテス1世が同一人物で、ティリダテス1世の称号がアルサケスなのであるという説も唱えられた。しかし現在ではやはりアルサケス1世とティリダテス1世は別の人物であると考えられている。また、アルサケス1世の跡を継いだのはティリダテス1世であるとするものもあり、詳細はよくわかっていない。

アルサケス1世(Arsaces I 在位:紀元前247年頃 - 紀元前211年頃)は、パルティアの初代王。パルティアは彼の名をとってアルサケス朝とも呼ばれる。現地語ではアルシャークと呼ばれたと考えられている。

2009年04月09日

パンク・ファッション

パンク・ファッション(Punk Fashion)とは、ファッションの一種。そこから端を発する様々な文化現象を指す語。単に「パンク」と表記される場合もある。元はパンク・ロックから派生したが、現在では音楽とは別のムーブメントとして認識され、このファッションの愛好者にはパンク・ロックには関心がないものも少なくない。

1970年代後半、ロンドンでヴィヴィアン・ウエストウッドのブランドを取り扱っていた店の経営者マルコム・マクラーレンがメンバーを集めて結成したとされるセックス・ピストルズの衣装に端を発する。マルコムは、ニューヨーク・ドールズのマネージャー時代に出会ったリチャード・ヘルのルックスに感銘を受け、そこに安全ピンや缶バッジなどをつけ足すことで、セックス・ピストルズのルックスを完成させた。
高級ブランドのヴィヴィアン・ウエストウッドは日本でパンク・ファッションの代名詞のように言われているが、セックス・ピストルズの衣装は殆どが自作の安物だったとされている(ヴィヴィアン・ウェストウッドと一番深い関わりのあったジョニー・ロットンだけはヴィヴィアンにガーゼシャツなどの高価な洋服を譲ってもらっていた)。しかしジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)によると、ジョンが自分でアレンジした服が数週間後には「SEX」に並んでいたという。 つまり、一般人でも真似する事が簡単で、衣装というよりは普段着に近いシンプルなファッションスタイルだった。彼らの音楽精神を強く感じさせるスタイルである事もあいまって、若者たちの間でこのファッションは広がっていった。

ちなみに、ページ写真にあるような「典型的」パンク・ファッション(原色に染めた髪を逆立てる、モヒカン刈りやスキンヘッドにする、革ジャンに鋲を打つなど)は80年代にイギリス郊外で大流行したパンク・リバイバル/ハードコア・パンク以降のものである。これらのファッションは本来の70年代オリジナル・パンクスには見られない。

連想されるスタイル [編集]
前述のカリスマ、セックス・ピストルズの典型的なスタイル。寝癖のような髪の毛、引き裂いたシャツやジーンズなどに身を包み、チェーン、安全ピンなどをアクセサリーにし、しばしば反逆的で過激なイメージを強調する。女性の場合は、コルセットやボンデージなどを取り入れたアイテムや、ミニスカートなど。髪型は髪色を派手に染める他、ベリーショートなども多い。他に、鋲打ちの黒革のジャンパーや細いパンツ、リストバンドやシルバーアクセサリーなどの意匠も加わっている事がある。しかし、パンクロッカーの多くがこのようなファッションをしているわけではなく、またパンクファッションをしている者がパンクロッカーとは限らない。

また、リバイバル以降のパンク・ファッションでは髑髏(スカル)がモチーフとして使用される事がよくある。髑髏は古くから「メメント・モリ(死を想え)」など「死」のシンボルとして知られている。だが、パンク・ファッションでは「死」よりも、髑髏は「反戦」のシンボルとしての使われ方をされる場合が多い。そして、どちらかといえば哲学的に取り扱われる事よりも諧謔的なブラック・ジョークとしての、冷笑的な使われ方をされがちである。

70年代にヴィヴィアン・ウエストウッドのブランド「セディショナリーズ」がナチスのシンボルであるハーケンクロイツを取り入れた洋服を売り始めたのをきっかけに、欧米のパンクスの間でハーケンクロイツをファッションに取り入れる者が大勢現れた。しかしファシズムやナチズムの称賛が禁止されている欧米ではのちにこの事が問題になり、一般人の中にはパンクファッションの若者とネオナチとを同一視する者が現れ、中にはその偏見を持ったままパンクファッションを始めたネオナチの若者も大勢現れた。しかし1981年にアメリカのパンクバンドデッド・ケネディーズが「Nazi Punks Fuck Off!」という曲をリリースしたのをきっかけに、多くのパンクス達の間でナチスのシンボルを取り入れるのはパンク的ではないと思うようになり、ハーケンクロイツをファッションに取り入れるのをやめ始めた。(しかしこの曲は反ナチ・反ファシズムを謳っているわけではなく当時の体育会系ハードコア・パンクスをナチや軍隊のようだと揶揄した曲である。)さらにそのムーブメントを作ったセディショナリーズもハーケンクロイツを取り入れたファッションを販売するのをやめたので、現在欧米ではハーケンクロイツを取り入れたパンクファッションは販売されていない(しかしファシズムやナチズムの称賛が禁止されていない日本では、未だにハーケンクロイツがついているセディショナリーズのTシャツが売られている)。

日本のパンク・ファッション [編集]
日本では、海外よりも通常のロックとパンクが混同されて見られている傾向が極端に強い。単に軽いロック系のファッションでもパンクロックスタイルとされてしまう場合が多く、実際のパンクファッションを見たことがない人が多い。
2000年代には、矢沢あいの漫画『NANA』のキャラクターの服装がさらにパンク・ファッション(同時にゴスロリ)の知名度を上げる。作品中でも主人公のひとりである大崎ナナと本城蓮の恋人関係に、セックス・ピストルズのメンバーであるシドと恋人ナンシーの関係との類似を示唆する描写やヴィヴィアン・ウエストウッドの実在する服飾を登場させるなどのオマージュ (盗用ではない) が見受けられる。この作品は映画化もされているが、ファッションと音楽性が伴わないため、パンクロッカーからは批判的な目で見られている(ヴィヴィアン・ウエストウッドの元々のファンからは「NANAを読んで着ている訳じゃない」と激しく批判されている)。
ハードコアパンクスの間ではクラストパンツという穿き潰したスリムジーンズにパッチを縫い付けたものを着用している人物も多く見られる。
鋲ジャンと呼ばれるレザーライダースジャケットに鋲を打ち、バンド名をペイントしたものはDIY精神に則り、手作りで作成されるのが主流。
欧米ではパンク・ファッションといえば80年代にイギリス郊外で大流行したパンク・リバイバル/ハードコア・パンクのスタイルが主流だが、日本は欧米と違いパンク・リバイバル/ハードコア・パンクのスタイルは勿論のこと、70年代のオリジナル・UKパンクのスタイルを好むものが大勢いる。
日本の芸能界では、沢田研二がデザイナー早川タケジとのコラボレーションにより、いち早くパンクファッションを衣装に取り入れた。(1977年には紅白歌合戦で手錠に剃刀のピアス、1978年は「サムライ」にてハーケンクロイツの腕章を付けた革ジャンを着用)

ゴジック・アンド・ロリータとの関係 [編集]
同じサブカルチャーとして扱われることが多く、上述の『NANA』や、サブカル系の雑誌などで一緒に取り扱われることの多かったゴシック・アンド・ロリータ(ゴスロリ)・ファッションとの関連性が近年強くなっている。そのため、本来全くの別物であるはずのゴスロリとの亜流的なカテゴリーが生まれており、近年の日本ではパンク・ファッションやゴスロリよりも人層は多いと思われる。しかし、一般的な知名度は低く「パンク・ファッション」や「ゴスロリ・ファッション」と一括りにされてしまうのが現状である。それらは「ゴスパン」「ロリパン」などと呼ばれ、それらのデザインは「パンク・ファッション」の方が類似点が多い。

しかし、本物のパンクロッカーからはゴスロリ・ゴスパン・ロリパンは「パンク・ファッションではない」と不評で、それらのファッションは「ファッション・パンク」という冷笑的な軽称をされている。

ネット上では、ゴスパンやロリパン以外にパンクファッションをしているのに、「パンクロックを聴かない」もしくは「興味がない」という人間に対しても同様の呼び方がされている。

まっち棒 きたみ ショートス バルト デンバー トスタチン チップ はじめて ばんか カラー ニュー ラジウム アドミラル プロフィット ネリカ スレッド 恋草子 ラッカー プレミア コリック サーフス ケード アサイン サーチ大潮 リンガ メイリオ オブラー ソクラ コサック からし菜 パラリ ゲバ上位 ヌーデン セルフレジ 草枕 トング 夢の果て ホソル びわ検 ひつじの涙 チャイ ナッツ パー 対策リマ ブラボ タイム ラングーン メキシコ ハクサンイ かいらん

2009年03月25日

富山地方鉄道クハ170形電車

クハ170形電車(クハ170がたでんしゃ)は、富山地方鉄道の電車。

高性能車の制御車として製造された。これまでに4種類の仕様で登場しており、うち3種類は2008年現在でも車籍を有している。このうち2種類は、後年にクハ170形から形式名が分割されて正式にはクハ173形・クハ175形とされているが、この記事でまとめて扱うことにする。

クハ171 (初代) [編集]
14770形の制御車として1955年に製造された、両運転台・正面非貫通3枚窓の18m2扉車である。1958年に電装され、モハ14772となった。

クハ171 (2代)・クハ172 [編集]
1969年の輸送需要見直しに伴い、10020形第1編成に組みこまれていたサハ221・14720形の編成に組みこまれていたサハ222を編成から外した上で、先頭車化改造を行なった片運転台制御車である。この2両の元の車体は先頭車から運転台部分をなくしたものだったため、その分全長も17.3mと短くなっている。

この2両は14720形の2両を分割した上、それぞれのクハとして使用されることになり、モハ14720+クハ170という編成となった。この時には方向転換は行っていなかったため、それぞれの編成の向きは逆向きとなっていた。

クハ173形(クハ173・クハ174) [編集]
やはり1969年の輸送需要見直しに伴い、10020形第2・3編成に組みこまれていたサハ223・224を編成から外した上で、先頭車化改造を行なった片運転台制御車である。この2両の車体は先頭車から運転台部分をなくしただけでなく、扉間の座席数を増加させたため、全長は18.6mと長い。

この2両は増結用として運用されることになり、2両とも電動車の編成に増結する形で運用された。貫通扉は常時締切となっている。また、14790形と連結し、2両編成の代用としての運用もあった。

1980年代後半に冷房改造された。当初は補助電源がなく、大容量の電力供給ができる車両との増結時しか冷房が使用できなかった。のちに改造され、既に冷房車として運用されていたクハ175(後述)と同様、床下には電動発電機を搭載、単車での冷房使用を可能にしている。

1995年に形式名がクハ170形から分割され、クハ173形に変更された。

2008年現在も増結用として運用されているが、大半の列車がワンマン化されたため、運用機会は減少している。運転台直後も含めてオール転換クロスシートのため、特急の増結などに使用されることが多い。

クハ175形(クハ175) [編集]
1981年に製造された片運転台制御車である。

車体は当時増備されていた14760形と同一構造であるが、はじめから増結車として製造されたため、運転台のない側の妻面は非貫通構造となっており、連続窓風2枚窓となっている。増結用車両としては初めての冷房車で、床下には電動発電機を搭載し、非冷房車の増結に運用された場合でも冷房が使用可能である。

上述のクハ173形と同様、1995年に形式が分割・変更されてクハ175形となった。

2008年現在も増結用として運用されているが、大半の列車がワンマン化されたため、運用機会は減少している。

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2009年03月09日

アベッグ(ABEGG)変奏曲 op.1

独奏
アベッグ(ABEGG)変奏曲 op.1
パピヨン(蝶々)(12曲) op.2
パガニーニのカプリスによる練習曲(6曲) op.3
6つの間奏曲 op.4
クララ・ヴィークの主題による10の即興曲 op.5
ダヴィッド同盟舞曲集(18曲) op.6
トッカータ ハ長調 op.7
アレグロ ロ短調 op.8
謝肉祭 (20曲)op.9
パガニーニのカプリスによる演奏会用練習曲 (6曲) op.10
ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調 op.11
幻想小曲集(9曲) op.12
飛翔(第2曲)
夢のもつれ(第7曲)
交響的練習曲 op.13
ピアノソナタ第3番 「管弦楽のない協奏曲」 ヘ短調 op.14
子供の情景 (Kinderszenen) op.15
知らない国々 (Von fremden Ländern und Menschen)
珍しいお話 (Kuriose Geschichte)
おにごっこ (Haschemann) (かくれんぼ という訳もあり)
おねだりする子供 (Bittendes Kind)
満足 (Glückes genug)
大変なこと (Wichtige Begebenheit)
夢(トロイメライ) (Träumerei)
炉端 (Am Kamin)
木馬の騎士 (Ritter vom Steckenpferd)
むきになって (Fast zu ernst)
びっくりさせる (Fürchtenmachen)
眠る子供 (Kind im Einschlummern)
詩人のお話 (Der Dichter spricht)
クライスレリアーナ (8曲)op.16
幻想曲 ハ長調 op.17
アラベスク ハ長調 op.18
花の曲 変ニ長調 op.19
フモレスケ 変ロ長調 op.20
8つのノヴェレッテ op.21
ピアノソナタ第2番ト短調 op.22
4つの夜の曲 op.23
ウィーンの謝肉祭の道化 (5曲)op.26
3つのロマンス op.28
ユーゲントアルバム op.68(54曲。『楽しき農夫』など)
4つのフーガ op.72
4つの行進曲 op.76
森の情景 op.82
入り口 (Eintritt)
待ち伏せる狩人 (Jager auf der lauer)
寂しい花 (Einsame Blumen)
気味の悪い場所 (Verrufene Stelle)
なつかしい風景 (Freundliche Landschaft)
宿 (Herberge)
予言の鳥 (Vogel als Prophet)
狩の歌 (Jagdlied)
別れ (Abschied)
色とりどりの小品(14曲) op.99
幻想小曲集(3曲) op.111
アルバムの綴り (20曲)op.124
フゲッタ形式の7つのピアノ曲 op.126
暁の歌 (5曲)op.133
以下は作品番号の無いピアノ作品。

ベートーヴェンの主題による自由な変奏曲形式による練習曲 WoO31
ショパンの夜想曲による変奏曲
スケルツォ ヘ短調(ピアノソナタ第3番(初版)の第2楽章)
プレスト・パッショナート ト短調(ピアノソナタ第2番(初版)の第4楽章)
パガニーニのカプリスのためのピアノ伴奏
ドール ワーカー イエロー コヒル ナツメグ トリックス パントリ スプーン パハク ツイン イートイ しゃみ プリズム リンゴ ストロベ チュー オムライス 冒険家 サイメッ チュートリ チョン フェニ キャン ファンブル フィス サザン ビエラ デパー 木綿のハン コイズ ラウンド ジンコール パフス マザー オシレー にっけ ベンチ こかげ チョッキ 日本全国 ユニタ タグカード オプテ ユトレ アドイン フリゲート 極楽トンボ トルリン ワスレナ フェミ

連弾
東洋の絵(6曲)op.66
小さな子供と大きな子供のための12の連弾曲集 op.85
舞踏会の情景(9曲)op.109
子供の舞踏会(6曲)op.130

ペダルピアノのための作品
ペダルピアノとはオルガンのような「足鍵盤」のついたピアノである。シューマンはこれらの作品にもかなり力を入れたようだが、現在では楽器とともに忘れられている。

練習曲(6つのカノン風小品) op.56
4つのスケッチ op.58
バッハの名による6つのフーガ op.60

歌曲
「リーダークライス」 op.24(ハイネの詩による。全9曲)
「ミルテの花」 (Myrthen) op.25(全26曲)
『君に捧ぐ(献呈)』op25-1(リュッケルト詩)
『くるみの木』op25-3(モーゼン詩)
『はすの花』op25-7(ハイネ詩)
『君はまるで花のよう』op25-24(同)
「リートと歌 第1集」op.27(全5曲)
「3つの詩」 op.29(重唱曲)
『流浪の民』op29-3
「3つの歌」 op.30(ガイベル詩)
「3つの歌」 op.31
「二重唱曲」 op.34(全4曲)
「12の詩」 op.35(J.ケルナー詩)
『誰がおまえを悩ませる』op35-11
『古いリュート』 op35-12
『6つの詩』 op.36
『愛の春』 op.37(全12曲)
「リーダークライス」 op.39(アイヒェンドルフの詩による。全12曲)
『異郷にて』 op.39-1
『森の対話』 op.39-3
『月の夜』 op.39-5
「5つのリート」 op.40
「女の愛と生涯」 op.42(シャミッソーの詩による。全8曲)
「ロマンスとバラード第1集」 op.45全3曲
「詩人の恋」 op.48(ハイネ詩。全16曲)
『美しい5月に』op.48-1
『恨みはしない』op.48-7
『私は夢の中で泣いた』op.48-13
『古い忌まわしい歌』op.48-16
「ロマンスとバラード第2集」op.49(全3曲)
『二人の擲弾兵』op.49-1
「リートと歌 第2集」op.51(全5曲)
「ロマンスとバラード第3集」op.53(全3曲)
『ベルザツァール』op.57(ハイネ詩)
「ロマンスとバラード第4集」op.64(全3曲)
悲劇 op64-3(ハイネ詩)
「スペインの歌芝居」op.74(全9曲)
「リートと歌 第3集」op.77(全5曲)
「子供のための歌のアルバム」 op.79(全28曲)
『ジプシーの歌 I・II』op79-7(ガイベル詩)
「ヴィルヘルム・マイスター」からの歌曲集 op.98a(全9曲)
「女王メアリー・ステュアートの詩」 op.135(全5曲)
スペインの愛の歌 op.138
うたびとの呪い op.139
4つの歌 op.142
ドイツなるライン川 Woo.1
兵士の歌 Woo.7
初期の6つの歌 Woo.21
変容
×××のための歌
らば追いの歌(消失)
白い鹿(草稿)

大規模な声楽曲と劇音楽
オラトリオ『楽園とペリ』 op.50
オペラ『ゲノフェーファ』 op.81
ミニョンのためのレクイエム op.98b
オラトリオ『ばらの巡礼』 op.112
劇付随音楽『マンフレッド』 op.115
ミサ曲 ハ短調 op.147
レクイエム 変ニ長調 op.148
『ファウスト』からの情景(独唱、合唱、管弦楽のための作品)
オペラ『海賊』(断片のみ)

2009年02月21日

アルスラーンと同年齢の少女

エステル・デ・ラ・ファーノ(エトワール)
久兵衛 弁慶国内 ユニット ノール とうもろこし レーズン おっくう ジャル パイダー デザート カメオ 四ツ溝柿 ドヤム ハマー ジグ ブルー フライス デリー トレイル 養老 チロリ パンテ スパイラル ティッカー イール シドニー ハナタ フィッ ノンド キーロガー シャワ バクー国内 プレーヤー ピエタ タリン 白い香 オリーブ ライプ カップル 眠り姫 ネブラ リンス 待ちぼうけ ワースト スマート フリーレ ドックス デッサン ズバー

[第1部]
アルスラーンと同年齢の少女。14歳。男装してエトワールと名乗り、騎士見習としてバルカシオン伯の下に従軍する。熱心なイアルダボート信者である。唯一アルスラーンに対等に接するキャラである。他のルシタニア人と同じように、異教徒であるパルスの人間に対しては憎悪を抱いてもいたが、アルスラーンと行動を共にするようになって考えを改めるようになる。
[第2部]
大戦後、帰郷して女騎士(セノーラ)の叙勲を受ける。17歳。ギスカールにルシタニアに戻ってもらうようにマルヤムまで直訴しに行くが、逆にギスカールの罠にはまって、パルス経由でルシタニアに戻ることになる。赤い僧院(ルージ・キリセ)の町でルトルド公爵を連れて帰ろうと言い出すが、彼の暴走によって脚に重傷を負う。
紆余曲折を経てアルスラーンとの再会を果たすが、傷が悪化して瀕死の状態にあり、ドン・リカルドらの今後をアルスラーンにゆだね、彼に看取られながら短い一生を終えた。死亡時には19歳。
オラベリア

[第1部]
ルシタニアの騎士。ギスカールの指示で銀仮面卿を追跡してデマヴァント山へ向かったが、地震に巻き込まれてドン・リカルドら同行者を悉く失う。
[第2部]
マルヤム国王ギスカールの下で大臣に匹敵する信任を受けている。使者としてミスルへ向かい、パリザードを拾う。イラクリオンにてルシタニア本国からの陳情団に帯同していた、旧友ドン・リカルドに再会する。
ブラマンテ

[第1部]
ルシタニアの騎士。第二次アトロパテネ会戦でメルレインに討たれる。
オルガノ

[第1部]
ルシタニアの高名な騎士。クバードの剛槍で討ち取られる。
ジャコモ

[第1部]
ルシタニアの高名な騎士オルガノの弟。クバードの剛槍で討ち取られる。
モンテセッコ

[第1部]
ルシタニアの騎士。第二次アトロパテネ会戦でジムサに討たれる。
ゴンザガ

[第1部]
ルシタニアの貴族。男爵。
フォーラ

[第1部]
ルシタニアの騎士。ゴンザガ男爵の弟。
デ・モーラ

[第2部]
ルシタニアの老騎士。マルヤム国王となったギスカールへの陳情団の団長。エステルの祖父の友人。道中に病に倒れ死去。

その他
ベラスコ

[第2部]
デ・モーラの死後に、マルヤム国王となったギスカールへの陳情団の団長になった。

シンドゥラ

主な王族
ラジェンドラ二世

[第1部]
シンドゥラ国王カリカーラの庶子で、異母兄ガーデーヴィと王位をめぐり争っていた王子。25歳。その後本人曰く「ほんのちょっと」だけ(実際は9割以上)アルスラーン率いるパルス軍に手助けしてもらい王位に就く。難事においては躊躇無く厚かましい態度でアルスラーンへ泣きつくくせに、都合が悪くなると裏切ることもいとわない利己主義者。ただ、その策謀がことごとくナルサスに見抜かれていたので大事に至らずにすんでいる。それでいてアルスラーンの事を「我が心の友」と呼ぶ厚顔ぶりのため、パルス陣営ではアルスラーン以外に彼に好意的な人物はいない。が、害意を抱かせるほど極端に憎まれているわけでもない。
[第2部]
大陸公路周辺諸国の中で、もっとも手のひらを返すことに長けているといわれる抜け目のない国王(ラージャ)。28歳。国王としては水準以上の名君で、軍事・内政・外政にも相応の有能さを兼ねており、ナルサスも認めているほど。民政にも心を配っており、陽気で気さくな人為から、家臣民衆の支持も高い。弱い民衆に対しては決して騙したり裏切ったりしておらず、悪評高い抜け目無さについても、実は彼なりの信念がある様子。むろん内政面での名君ぶりは他国者としては知った事ではなく、相変わらずパルスの武将には人望が無く、借金を返さずさらに借金を申し込む人のことを「ラジェンドラ三世」と呼びはじめる武将もいる。
ガーデーヴィ

[第1部]
シンドゥラの王子。ラジェンドラより1ヶ月年長の異母兄であり、政敵でもある。かつてはマヘーンドラの娘サリーマをめぐる恋敵でもあった。貴族育ちの為世間知らずで、目下のものへの心配りができない為、民衆には人気が無いが、各地の領主や諸侯からの支持がある。ラジェンドラに言わせれば、正妻の子であり長男でもある彼が王太子として正式に立てられなかったのは、ガーデーヴィがラジェンドラよりはるかに見劣りするからだという(事実、父王もそれに類する事を述べている)。槍術(投槍)を得意とし、バフマンとマヘーンドラを死に至らしめた。
カリカーラ二世

[第1部]
シンドゥラ国王。まだ52歳だったが、あやしげな強精剤を大量摂取した結果、突然倒れて昏睡状態に陥ってしまった。彼が王太子を冊立しないうちに倒れた事が、ラジェンドラとガーデーヴィの争いの一因となっている。二人の争いのさなかに目を覚まし、公正な態度で争いを収め、ガーデーヴィの今後を憂いながら没した。

主な将軍など
マヘーンドラ

[第1部]
シンドゥラの世襲宰相(ペーシュワー)。国政では安定した業績をあげている。三角形の黒いあごひげが特徴的な中年。娘サリーマをガーデーヴィに嫁がせており、ガーデーヴィ派の重鎮である。
プラダーラタ

[第1部]
シンドゥラのガーデーヴィ派の将軍。偃月刀を操る屈強の戦士。カーヴァリー河を越えたアルスラーン・ラジェンドラ連合軍を迎え撃つが、ダリューンによって討ち取られる。
ゴーヴィン

[第1部]
シンドゥラのガーデーヴィ派の将軍。グジャラート城の城司。ラジェンドラ派と連合を組んだパルス軍に夜襲をしかけるが、ナルサスの奇計に嵌り失敗する。ダリューンの投槍によって討ち取られる。
ターラ

[第1部]
シンドゥラのガーデーヴィ派の将軍。グジャラート城の副城司。ラジェンドラ派と連合を組んだパルス軍に夜襲をしかけるが、ナルサスの奇計に嵌り失敗する。ファランギースに討ち取られる。
プラケーシン

[第1部]
シンドゥラのガーデーヴィ派の将軍。グジャラート城の副城司。巨体を持ち大刀をふるう。ダリューンによって倒される。
ダラバーダ

[第1部]
シンドゥラのガーデーヴィ派の将軍。カーヴェリー河を越えてパルスに侵入するが、キシュワードによって一刀の元に敗死する。
クンタヴァー

[第1部]
シンドゥラのラジェンドラ派の将軍。神前決闘の判決に異を唱え、逃亡したガーデーヴィの隠れた先の密告を受け、彼を捕える。シンドゥラ王位継承戦役終了後、シンドゥラのパルス軍への援軍の指揮官となる。ラジェンドラの計略によってパルス軍に混乱をもたらすはずが、ナルサスに見抜かれ討たれる。
プラージヤ

[第2部]
シンドゥラの将軍で、王宮警備隊長を務める。ミスルの使者として来訪し、ラジェンドラ二世の説得に失敗すると彼を害そうとした「右頬に傷のある男(シャガード)」を取り逃がす。国王殺害未遂犯を取り逃すという重大な過失にも関わらず、ラジェンドラ二世は彼に罰金を課したのみで、王者の寛大さを見せた。
アラヴァリ

[第2部]
シンドゥラの将軍。国内を掠奪する正体不明の仮面兵団討伐の軍を率いるが、ほぼ一撃で粉砕され敗走する。
パルー

[第2部]
チャンパの城司を務める文官の老人。侵入した賊によって城壁より突き落とされ死亡。
パルバーニ

[第2部]
シンドゥラの将軍。コートカプラ城の城司。侵入してきたチュルクとの戦いで戦死。
ナワダ

[第2部]
シンドゥラの将軍。コートカプラ城の副城司。チュルクの将軍シングと壮絶な一騎討ちの末に戦死する。
ナタプール

[第2部]
シンドゥラの大臣。
アサンガ

[第2部]
シンドゥラの宮廷書記官。小肥りの若い男で、宮廷に仕えて間もなく、ラジェンドラの性格をあまり知悉していない。

その他
バハードゥル

[第1部]
神前決闘(アディカラーニャ)でガーデーヴィの代理戦士として指名された男。身長2ガズ(2m)を超える巨漢で、知性の欠片も見られない、まさに野獣である。ラジェンドラによれば「鮫と同じ」で痛みを感じるという事がなく、死ぬまで戦うという。あまりの凶暴性ゆえか鎖につながれていたらしいが、ラジェンドラの代理戦士となったダリューンに対抗すべくガーデーヴィによって解放された。激闘の末、ダリューンに討ち取られる。
サリーマ

[第1部]
シンドゥラの世襲宰相マヘーンドラの娘で、「ラクシュミー女神の落し子」と呼ばれるほどの美姫。ガーデーヴィ王子の妻となる。

マルヤム

主な王族
イリーナ

[第1部]
マルヤムの内親王。国王ニコラオス四世と王妃エレノアの娘で、姉ミリッツァがいる。白く秀麗な顔立ちで、黄銅色の髪をしている。眼病によって視力を失っている。パルスを脱出した後マルヤムに滞在していたヒルメスと幼い頃に交流し、互いに好意を抱く。ルシタニアのマルヤム侵攻で両親と姉を失い、マルヤム王家唯一の生き残りとしてパルスに逃れ、紆余曲折を経てヒルメスと再会する。
[第2部]
ヒルメスと共にチュルクに滞在し幸せな生活を送るが、病を得て妊娠中の子とともに病死する。
ミリッツァ

[第1部]
マルヤムの内親王。国王ニコラオス四世と王妃エレノアの長女。ルシタニア軍襲来時に、妹にイリーナとともにダルバンド内海の西北岸にあるアクレイヤ城に逃げ込む。二年の間籠城を続けるが、内通者によって落城し、イリーナを脱出させた後に塔から身を投げる

主な貴族・騎士
コリエンテ

[第2部]
ルシタニアの支配下になったマルヤムの貴族。伯爵(後に侯爵)。ボダン派であったが、ザカリヤ野の戦いの最中配下の軍二千を率いてギスカール派に寝返る。ギスカールがマルヤムの政権を握りケファルニス朝を開くと、トライカラ侯爵と勢力を二分するほどの権力を持つに至る。
ランチェロ

[第2部]
伯爵家出身の騎士。長男であったが母親の身分が低かったため、家督は弟が継いだ。立身出世のためにトライカラの城塞に幽閉されたギスカールの救出を試みる。
ウェスカ

[第2部]
騎士。能弁で才覚がある。ランチェロと共謀し、トライカラの城塞に幽閉されたギスカールの救出を企てる一味に加わっていた。
アリカンテ

[第2部]
ルシタニアの支配下になったマルヤムの貴族で伯爵。ボダン派に組し、トライカラの城守を務める凡庸な男。ギスカールを逃亡させてしまい、ボダンの怒りを恐れてウソの報告をするが、のちに露見しこの責を問われボダンによって処刑される。
カステロ

[第2部]
アリカンテ伯爵の甥。跡継ぎがないアリカンテ伯爵家の相続権を持っていたが、伯爵家に男児が生まれたため相続権を取り消された。ランチェロと同じように立身出世を狙いギスカールの脱獄を助ける。ギスカールがマルヤムの政権を握りケファルニス朝を開くとトライカラ侯爵として権勢を振るう。

その他
ジョヴァンナ

[第1部]
マルヤム王宮の女官長。頭髪は白いが、肌にはつやがあり、姿勢も正しい。気力や知恵も十分にありしたたかな60歳くらいの女性。内親王イリーナとともに、舟でダルバンド内海を使いマルヤムからパルスへ脱出する。

ミスル
主な王族
ホサイン三世

[第2部]
ミスルの国王。39歳。禿げ上がった頭と肥満体で風采は上がらないが、国王としての手腕は水準以上。周辺諸国の列強が争っている間にも出征せず、ひたすら内政に集中し国力を温存していた(ただしヒルメスの見る所では、これといった善政はしていない)が、自国の奴隷制度を守るために政治姿勢を変えざるを得なくなる。奴隷解放を宣言したパルスへの外征を開始するが撃退され、宿将カラマンデスを失う。その後、パルスから来た「右頬に傷のある男」に扇動され、パルスを手中にすべく陰謀を巡らせるが、暴発され横死。
サーリフ

[第2部]
ミスルの王子で、ホサイン三世の急死後に、8歳でミスル国王に擁立される。母親は平民出身で後ろ盾がなく、しかも病弱な為、後宮の片隅で母子でひっそりと暮らしていた。

主な将軍など
マシニッサ

[第2部]
ミスルの将軍。28歳。髪も瞳も口髭も黒々としており、肌は赤銅色に焼けた長身の人物。ミスル随一の勇名を馳せる程、戦場では有能で、駱駝と馬との高低差で若干有利ではあったものの、大陸公路最強の誉れ高いパルスのダリューンと三十合に渡って戦いつづけた。ただし大局的な視点に欠けるため、ホサイン三世からの信頼を得るに至っていない。性格は強欲で猜疑心と嫉妬心が強く人望が無い。ミスルの陰謀を知ったザンデを騙し討ち同然に殺害したため、後に宮廷で起きた事件に乗じた「客将軍(アミーン)」クシャーフル(本物のヒルメス)によって「国王殺害の共犯者」に仕立て上げられ殺される。
カラマンデス

[第2部]
ミスルの先王以来から数々の武勲をあげている宿将。髪も鬚も灰色がかった老将。ミスル軍を率いてディジレ河を越えてパルスへと侵攻する。ダリューンとの一騎討ちで討ち取られる。
グーリイ

[第2部]
ミスルの宮廷書記官長。痩せた男で水気が無い容貌から陰では「歩くミイラ」とも呼ばれている。宮廷の歴史や諸事に通じており、クシャーフルの称号である「客将軍(アミーン)」は彼が故事に基づいて提案したもの。ホサイン三世の急死後は摂政として国政を取り仕切ることとなる。
(ギランの)シャガード

[第1部]
パルス人。ナルサスの旧友で、アルスラーンに従うことを決めた後はエラムを彼に預けようと考えていた。かつては共に奴隷解放の理想を語り合った仲であったが、いつしか偏向して奴隷制度を肯定するようになり、更に海賊と謀ってギランを劫略しようとする。しかしナルサスの計略にはまり失敗。逃亡を図るが告死天使(アズライール)の爪にえぐられて右頬を負傷し捕らえられる。アルスラーンが彼に下した判決は、1年間、奴隷(ゴラーム)として実際に惨めな生活を体験させることであった。
[第2部]
右頬に傷のある男。ナルサスへの復讐に燃え、素性を隠した上でミスル国王を語らってパルス侵攻を企てるが失敗。次いでシンドゥラへ赴き、ラジェンドラ二世に反パルス同盟を呼びかけるが拒絶される。その後、ホサイン三世の企みに荷担し、ヒルメスの偽者「黄金仮面」となってパルス侵略の旗印となるが、その際に顔を焼かれたことでホサイン三世を恨んでいる。
クシャーフル

[第2部]
「客将軍(アミーン)」の称号を持つパルス人で、ミスル国内の亡命パルス人部隊を率いる。正体はパルスの王子ヒルメス。クシャーフルの名は、英雄王カイ・ホスローの子でありながら王位につけなかった王子に由来する。ミスルの客将として、アシュリアル地方の盗賊退治などの任務をこなし、ホサイン三世からの信頼を得る。引退を申し出ていた南方軍都督カラベクの後釜として就任する予定であったが、ホサイン三世の急死後は事実上ミスル軍の最高責任者となる。
クオレイン

[第2部]
アクミームに住むパルス人。パルスのフゼスターン地方の貴族出身だが、アルスラーンによるパルスの奴隷解放によって財産を失いミスルに渡った。ミスル国内の反アルスラーン派パルス人の3人の有力者の一人。元貴族という身分こだわるだけの尊大な男で、「客将軍(アミーン)」クシャーフル(本物のヒルメス)の指揮下に入ることを拒否したため、彼に一刀のもとに斬殺される。パルス国内にいる反アルスラーン派とも連絡を取っていたとされる。
カラベク

[第2部]
ホサイン三世の時代の南方軍都督(キャランタル)。老齢の為、引退を願い出る。息子が3人いる。
ザイード

[第2部]
クシャーフル(ヒルメス)隷下のパルス人部隊の大隊長。
ラッザーク

[第2部]
クシャーフル(ヒルメス)隷下のパルス人部隊の大隊長。
フラマンタス

[第2部]
クシャーフル(ヒルメス)隷下のパルス人部隊の大隊長。大きな声を持ち、パルス人には珍しくミスル語に長ける。
セビュック

[第2部]
クシャーフル(ヒルメス)隷下のパルス人部隊の大隊長。
アドリス

[第2部]
クシャーフル(ヒルメス)隷下のパルス人部隊の大隊長。

その他
ラヴァン

[第2部]
パルス出身の商人。口が達者で抜け目が無い。ヒルメスに雇われて情報収集を行ない、多くの重要な情報を彼にもたらす。
フィトナ

[第2部]
ナバタイ東王国からミスル国王へ献上された若く美しい娘。「孔雀姫(ターヴース)」の称号で呼ばれる。パルス人。レイラ、パリザードと同じ銀の腕輪を所有する。クシャーフル(ヒルメス)とともにミスルを手に入れるべくホサイン三世を誘惑し策動する。
ヌンガノ

[第2部]
ミスル後宮(ハレム)の黒人宦官。ナバタイのさらに南の出身。宮廷で起きた事件がきっかけでフィトナに忠誠を誓う。
ギルハーネ

[第2部]
サーリフ王子の生母。サーリフ王子の即位に伴い王太后となる。

チュルク

主な王族
カルハナ

[第2部]
チュルクの国王。元々はチュルクの宰相であったが、王族の娘を娶り副王を経て即位した。ずば抜けた長身の人物。有能ではあるが陰険で猜疑心が深く、部下には能力よりも忠誠心を要求する性質。亡命中のヒルメスを使ってパルス侵攻を企図するが失敗し、虎の子の軍団を失ってしまう。自らは天険の要害である王都にあって動かないことから、『チュルクの穴熊』と渾名を付けられる。
カドフィセス

[第2部]
カルハナの従弟。近親者を王位を脅かす者とみなすカルハナによって警戒され、居心地の悪い思いをさせられていた。カルハナから長女の婿に指名されるが、同時に単身で敗軍と合流しパルス軍を撃退するという無理難題を押し付けられ事実上チュルクを追放される。その後パルス軍に捕らえられ、汚い(?)拷問にかけられた挙句シンドゥラ国王に引き渡される。現在シンドゥラ国内に軟禁中。

主な将軍など
ゴラーブ

[第2部]
パルス・チュルク・シンドゥラの三カ国の国境にある鉄門(カラ・テギン)から、パルスに侵攻して来たチュルク軍を率いる高名な将軍。パルス軍の捕虜となった。ギーヴらによってチュルクへと送還されるが…。
シング

[第2部]
チュルクの将軍。ザラフリク峠に布陣したチュルク軍の主将。パルス軍に敗れシンドゥラ領内へと落ち延びる。コートカプラ城を一時占拠するが、パルス軍によって再び敗北する。助命されチュルクへの帰途へついた。チュルク帰国後に汚名返上の機会としてパルス国境付近の偵察の命を与えられ、妹婿のザッハルらとともにパルス領内へ侵入する。偵察を目撃したエステル一行を抹殺しようとするが、ドン・リカルドによって返り討ちにあう。
デオ

[第2部]
チュルクの将軍。ザラフリク峠の戦いに参加する。パルス軍に敗れシンドゥラ領内へと落ち延びる。
ドラーニー

[第2部]
チュルクの将軍。ザラフリク峠の戦いで、パルス軍を罵倒した結果、ファランギースの弓の神技によって射殺される。
シカンダル

[第2部]
チュルクの将軍。ザラフリク峠の戦いに参加する。ダリューンによって討たれる。
プラヤーグ

[第2部]
チュルクの将軍。チュルク屈指の勇将。ザラフリク峠の戦いに参加する。
イパム

[第2部]
チュルクの将軍。軍監(ターリキー)の一員として仮面兵団と行動を共にする。シングの妹婿。上には卑屈で下には尊大な小人物。パルス軍に敗れシンドゥラに落ち延びたチュルク軍との合流を主張する。激昂したブルハーンによって斬殺される。
ザッハル

[第2部]
チュルクの騎士。シングの妹婿で、シングらと共にパルス国境付近の偵察の任務を受けパルス領内へと潜入する。目撃者抹殺の為にエステル一行を襲撃するが、ドン・リカルドによって討ち取られる。

2009年02月05日

鎮 元斎(ちん げんさい、Chin Gentsai)

初登場は『ザ・キング・オブ・ファイターズ'94』(以下『'94』と表記)で、『サイコソルジャー』では全く登場していない。
とまま 月の微笑 アテンポ アトゥドア トリビュ ブイWEB イアリン リスト タンザ マルチ ティック ガーナ デジャブ ぴっこ エミュー レーター マルク レンジャー チータ リーシム タカス イミング チャー オペレ トサミズ イチョウ ワラント ギアサン ミヤマ 一意専 ツァーリ テーマ ネメシア チャック プラグ フレンドリー キープトコ えいち リユース パラソル みるいろ ミル スキーヤー ダイウェブ フリータ カツラ ブラジル レジデント パテ シマル

中国の山に囲まれた奥地に庵を構える仙人。シリーズ登場キャラクター内では最高齢の89歳。中国拳法に精通しており、自身は酒の入った紐付きの瓢箪の水筒を片手に酔拳を使いこなす。性格は気の良い好々爺といった感じである。「お迎え」はまだまだ先といったところで、『'96』のエンディングでは、「一休みする」と言った直後吸っていた煙管を落として動かなくなる(典型的な老人キャラの死の描写)という様を見せるが、本当に一休みに寝ていただけというオチだった。

超能力を持つ戦士・サイコソルジャーである麻宮アテナや椎拳崇、超能力の資質がある包を拳法の弟子にしている(桃子も含まれる可能性がある)。自身は超能力は全く使えないが、前記の点や、悪人に対して「邪悪な気」を感じ取ったりする点、他に超能力者が登場しておらず、作中で超能力に一番造詣があるのが彼である事などから、若い頃は使えたのかもしれない。家族は、勝ち台詞などで妻(鎮は「バアさん」と呼んでいる)、『ザ・キング・オブ・ファーターズ京』(プレイステーション版)で登場した孫娘のレイレンがいることがわかっている。また『'94』での餓狼伝説チームに対する勝利メッセージから、タン・フー・ルーと知り合いである事が判明している。

服装は『'98』までは緑色のチョッキと白のズボンであったが、『'99』以降は上下とも緑色の胴着姿に変更された。また共通して緑色の帽子と、片方は穴が開いている靴を履いている。

『'97』までは、アテナと拳崇が心技体に正しく成長している事を喜んでいたが、『'99』での包の登場以降、拳崇の「龍の気」によって安定しない拳崇と包の超能力を心配している。また『2003』では、修行で出られない拳崇たちの代わりに、K'達にKOFに出場して裏を探る事を依頼していた。その中で、オロチ等の存在に対抗するため協力せねばならぬのに、いまだに反目している草薙京と八神庵に不満を述べている。

『'99』から好きな食べ物が大量に増加しており、あまりの多さに『2001』からは幾つかを残して端折られている。パンダが嫌いな理由は「可愛い外見とは裏腹に性格は狂暴だから」らしい。だが、『2000』での彼のアナザーストライカーは何故かパンダの「白湯」になっている(白湯の元ネタがパズルゲーム『ジャンボウ』なのかは不明)。

キャラクターのモデルは映画『ドランクモンキー 酔拳』でユエン・シャオティエンが演じた蘇化子と推測される。特に帽子と髪型が、それを連想させる。

技の解説
通常技
操作 立ち(近距離) 立ち(遠距離) しゃがみ 垂直ジャンプ 前方ジャンプ 後方ジャンプ
弱パンチ 掌背 掌指 座掌心 掌落 掌側
強パンチ 掌心 掌尖心 落園掌 拍心 蓮掌法
弱キック 踹脚 舅踹脚 前掃腿 蹬脚 脚尖踢
強キック 蓮廻蹴 旋廻脚 転舅廻蹴 廻擺蹴 飛舅廻蹴
攻撃避け 曹国舅の型
カウンター 瓢箪砕
ふっ飛ばし 権錘離の型 94:飛舅廻蹴
95以降:仰身後腿勢の型

投げ技
強飲酒 (ごういんしゅ)
相手に無理矢理酒を飲ませる技。飲ませられている側はレバー操作とボタン連打によって、ダメージを軽減できる。
逆脚投げ (ぎゃくあしなげ)
相手を投げ飛ばす技。

必殺技
瓢箪撃 (ひょうたんげき)
紐を握りつつ、持っている瓢箪を相手に向かって投げつける。出演作の全てで使用可能。
回転的空突拳 (かいてんてきくうとつけん)
地面を転がり前進した後、拳で攻撃する。出演作の全てで使用可能。『2001』以降は「酔杯靠」(後述)が1回必要。
鬼酔酒 (きすいしゅ)
酒を口に含み、霧状に吐き出す対空技。『'94』と『'98』のみ使用する。
柳憐蓬莱 (りゅうりんほうらい)
ふら付きながら飛び上がる対空技。初出は『'95』。『2001』以降は「酔杯靠」が1回必要。
酔管巻翁 (すいかんかんおう)
悪酔いしたように、その場でふら付く。『'96』~『2000』で使用する。「回転的空突拳」か、「蝶襲りく魚」に派生するほか、追加入力でニュートラルに戻ることもできる。
蝶襲りく魚
前方にうつ伏せで飛び掛る。『'96』~『2000』で使用する。
望月酔 (ほうげつすい)
その場で仰向けに寝転がる。初出は『'96』。「回転的空突拳」、「龍蛇反ほう」、「鯉魚反ほう」、「仰穿腿」に派生する。
龍蛇反ほう
前方に仰向けで飛び掛る。初出は『'96』。
鯉魚反ほう
後退しつつ、足で蹴り上げる。初出は『'96』。
仰穿腿 (ぎょうせんたい)
それまでの「望月酔」からの起き上がりに攻撃判定がついた物。初出は『2002』。
酔杯靠 (すいはいこう)
相手に背中を向けながら酒を飲む。初出は『'99』。この技を成立させると1回だけ、「噴炎口」、「轟炎招来・改」(『2002』以降は3回必要)、「回転的空突拳」(『2001』以降)、「柳憐蓬莱」(『2001』以降)のいずれかを出すことができる。『2001』以降は重要性が増し、『2002』以降は飲み貯めが可能。
噴炎口 (ふんえんこう)
軽く火を噴く。初出は『'99』。「鬼酔酒」の強化版とも、「轟欄炎炮」の弱化版ともいえる。「酔杯靠」が1回必要。
轟炎招来・改 (ごうえんしょうらい・かい)
「轟炎招来」(後述)の弱化版。初出は『'99』。「酔杯靠」が1回(『2002』以降は3回)必要。

超必殺技
轟欄炎炮 (ごうらんえんぽう)
口から業火を噴く。牽制、対空、連続技、なんにでも使える万能技。出演作の全てで使用可能。ノーマル版はコマンド入力時のボタンで上方向に噴くか、横方向に噴くか選択でき、MAX版は上中下方向の広範囲に火を噴く。
轟炎招来 (ごうえんしょうらい)
全身を炎でまといつつ、相手に回転しながら体当たりをする。攻撃力は高いが、リーチと突進速度は小さい。初出は『'97』。
酔操炎舞 (すいそうえんぶ)
MAX2として使用。操作が可能な小さな火の玉を連発して噴く。初出は『2002』。
大強飲酒 (だいごういんしゅ)
「強飲酒」の強化版。『'98 ULTIMATE MATCH』(以下『'98 UM』)で追加。
仙鳥酔歩 (せんちょうすいほ)
その場からスキップで前進し、踏みつけるように攻撃する。『'98 UM』で追加。

2009年01月21日

アゼルバイジャン語

アゼルバイジャン語による初の翻訳は分冊で1842年に出版された。新約聖書として完成されたものは1878年に出版され、1891年になり漸く新旧含めた聖書全体の翻訳が日の目を見ることとなった。1982年にロシアの聖書翻訳協会が改訂版を出しており、これが現在アゼルバイジャン内で使われている。イランのアゼルバイジャン使用者は、それとは少し異なる翻訳に従っている。

A Comparison of Matthew 6:9-13 in Azeri Translations Translation Mt 6:9-13
Institute for Bible Translation, 1982 (commonly used in Azerbaijan) Ey göyl?rd? olan Atamız! Adın müq?dd?s tutulsun. S?lt?n?tin g?lsin. Göyd? olduğu kimi, Yerd? d? S?nin irad?n olsun. Günd?lik çör?yimizi biz? bu gün ver; V? biz? borclu olanları bağışladığımız kimi, Bizim borclarımızı da bağışla; V? bizi imtahana ç?km?, Lakin bizi ş?rd?n xilas et. Çünki s?lt?n?t, qüdr?t v? izz? ?b?di olaraq S?nindir. Amin.
Unknown translation (commonly used in Iran) Ey göyl?rd? olan Atamız! S?nin adın müq?dd?s olsun. S?lt?n?tin g?lsin. S?nin irad?n Göyd? olduğu kimi, Yerd? d? olsun. Günd?lik çör?yimizi bu gün biz? ver; V? bizim borclarımızı biz? bağışla, Nec? ki, biz d? biz? borclu olanları bağışlayırıq; Bizi imtahana ç?km?, Lakin ş?rd?n xilas et. Çünki s?lt?n?t, qüdr?t v? izz? ?b?d? kimi S?nindir. Amin.

外部リンク

Sound Bible

カタロニア語
中世から19世紀まで

カタロニア語への聖書全体の最初の翻訳は1287年と1290年の間に行われた。それはアラゴン王国国王、アルフォンソ2世によってJaume de Montjuichに委ねられた事業であった。この翻訳の遺稿は現在パリの国立図書館 (Bibliothèque Nationale)で見ることができる。また、この図書館にはカタロニア語への別翻訳、それはアラゴン王国国王、ハイメ2世(1267年-1327年)へ1319年11月23日に献納されたものも見ることができる。

15世紀初頭になると、Bonifaci Ferrer(1350年 - 1417年)による別の翻訳が現れる。1490年にはJoan Roís de Corellaによる詩篇が出た。Bonifaci Ferrer によるカタロニア語訳聖書は1478年に印刷されたが、これは英語やスペイン語による印刷よりも早い。

聖書の現地語翻訳がスペインや他国で禁止されたことと、カタロニア語がいったん衰退して19世紀まで復活しなかったことから16世紀から19世紀にかけてのカタロニア語の聖書翻訳はない。

1832年、ロンドンに亡命していたカタロニア人J.M. Prat Colomが英国外国聖書協会の支援を受けて新約聖書(Lo Nou Testament de nostre Senyor Jesu-Christ)を翻訳する。これはその後バルセロナとマドリッドでそれぞれ 1836年と1888年に出版された。

20世紀以降

20世紀になると多くの訳がカトリックとプロテスタントの双方から出てきた。

カトリックの翻訳

1948年、Fundació Bíblica CatalanaによるBíblia de Cambó 1927年開始
1968年、Bíblia de Cambó 第2版
1970年、モントセラト修道院による『モントセラト修道院聖書』Bíblia dels Monjos de Montserrat
プロテスタントの翻訳

1988年、『新約聖書』(Nou Testament) カタルニア聖書福音協会(Institució Bíblica Evangèlica de Catalunya)
2000年、『カタルニア福音聖書』Bíblia Evangèlica Catalanaあるいは『2000年聖書』カタルニア聖書福音協会(Institució Bíblica Evangèlica de Catalunya)(翻訳者Pau Sais and Samuel Sais) BEC
共同訳

カトリックとプロテスタントが共同して聖書を作ったというのは滅多にはない。2つの版がある。第二聖典を含むカトリック版と、それを外典として含まないプロテスタント版である。

1993年、『共同訳カタロニア聖書』Bíblia Catalana Interconfessional カタロニア聖書協会、Editorial Claret、Societats Bíbliques Unides
BCI

Catalan Translation Biblical Text in Catalan
Gen 1:1-3 (BCI) Al principi, Déu va crear el cel i la terra. La terra era caòtica i desolada, les tenebres cobrien la superfície de l'oceà, i l'Esperit de Déu planava sobre les aigües. Déu digué: -Que existeixi la llum. I la llum va existir.
Gen 1:1-3 (BEC) En el principi, Déu va crear el cel i la terra. La terra era caòtica i desolada, les te?nebres cobrien la superfície de l'abis?me i l'esperit de Déu planava per da?munt les aigües. I Déu digué: “Que hi hagi llum”; i hi hagué llum.
John 3:16 (BCI) Déu ha estimat tant el món que ha donat el seu Fill únic perquè no es perdi cap dels qui creuen en ell, sinó que tinguin vida eterna.
John 3:16 (BEC) Ja que Déu ha estimat tant el món, que ha donat el seu Fill únic perquè tot el qui creu en ell no es perdi, sinó que tingui vida eterna.

中国語
中国では、7世紀にネストリウス派のキリスト教(景教)が伝わり流行したと伝えられているので、聖書翻訳も行われたものと推測はされるものの、聖句の断片的な翻訳しか残っていない。

16世紀に入ると、カトリック宣教師たちが日本に次いで中国布教に乗り出すのだが日本と同様に最終的には禁教されてしまう。その迫害の最中にパリ外国宣教会のジャン・バセJean Basset,MEPによって翻訳が試みられ、1737年に4福音書および使徒行伝からヘブル書第一章までが『四史攸編』として執筆された。しかしこうした事業は久しく忘れられていた。

19世紀よりプロテスタント諸教会による海外宣教が盛んになり、聖書の中国語訳が試みられる。新約聖書の全訳はロバート・モリソンRobert Morrison,LMSによって行われ、1813年に『新遺詔書』全8冊として広東より出版された。これに引き続きモリソンはミルンWilliam Milne,LMSの助けを得て旧約聖書を『旧遺詔書』として1823年にマラッカから出版。上記二つを合わせて『神天聖書』全21冊(マラッカ、1823年)とした。
サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

その後、宣教師会議によって改訳作業が行われたが訳語をめぐって会議が分裂。イギリスのメドハーストやストロナックは1852年に『新約全書』、1854年に『旧約全書』を出版した。これは代表者訳Delegate Versionあるいは文理訳Wenri Versionと呼ばれている。これに対してアメリカのブーンやブリッジマンE.C.Bridgman,ABCFMそしてカルバートソンM.S.Culbertson,PNは独自の改訳を行い1861年に『新約全書』、1863年に『旧約全書』を米国聖書協会の手で上海から出版した。

宣教会議のこの分裂は主にTheosを「上帝」と訳すか「神」と訳すかで紛糾したことに端を発している。中国語の「神」では自然界の不思議な力を持つ精霊の類を含んでしまい、一神教の最高存在を示す言葉としては相応しくない。その一方で「上帝」は中国古来の存在であり、皇帝は上帝を祭る祭壇(天壇)で毎年冬至の日に儀式を営んでいた。カトリック宣教時代にはこうした儀式を「市民的慣習」とみるか異教の典礼とみるかで「典礼問題」が発生し、カトリックでは最終的に「天主」という訳語があてられたという経緯もある。『神天聖書』やブリッジマンの改訳聖書では「神」を、代表者訳では「上帝」が採用されている。この訳語問題は、その後も尾を引いたが、プロテスタントでも「天主」という訳語を採用するケースが増えているという。なお、日本へやってきたプロテスタント宣教師たちは「神」と訳したブリッジマンの改訳を参照して日本語訳を行ったので、日本のキリスト教会はその後一貫してTheosは「神」である。

清朝崩壊後のカトリックの聖書翻訳は、当時まだ若かったフランシスコ会の修道士ガブリエル・アレグラによって1935年に開始された。彼はヘブライ語およびアラム語による原典から旧約聖書の翻訳を開始し、それから10年経過した頃、北京において Frs Solanus Lee OFM, Antonius Lee OFM, Frs Bernardinus Lee OFM and Ludovicus Liu OFMの募集を行った。その後、中国は国共内戦が勃発。このため1948年、修道士は香港のStudium Biblicumを動かすこととなる。こうして20年の努力を経て1954年にようやく初の旧約聖書が出版された。また、1968年には旧約と新約を1冊にまとめた聖書が出版された。

現在の中国のプロテスタント教会でもっとも普及している版は和合本と呼ばれる翻訳である。20世紀の間に数多くの中国語訳聖書が出版されたが、和合本がなお広く使われており、中国語訳聖書を代表するものとなっている。

遺詔全書, 1822
神天聖書, 1823-1824
Studium Biblicum Version (思高譯本), 1935-1968
和合本 (Chinese Union Version), 1904-1919
Lu Zhen Zhong's translation (呂振中譯本), 1970
Dangdai Shenjing (當代聖經), 1974
Today's Chinese Version (現代中文譯本), 1979
New Chinese Version (聖經新譯本), 1993
聖經新世界譯本(聖經新世界譯本)(漢語版), 2001
Recovery Version (聖經恢復本), 2003
外部リンク

Studium Biblicum Franciscanum
Chinese Catholic Bible Wiki